世界でいちばんのきみへ

ありがとうとごめんね

「死んでもいいわ」なんていえない

 

I・ZA・NA・I・ZU・KIがNEWS EXPOで再録されると分かったとき、こんなツイートをした。

正直、複雑だった。わたしは4人時代からのオタクだから、たとえばUR not aloneや「生きろ」、フルスイングなど、4人のために作られた、4人の物語が刻まれた曲を3人で再録するということにかなり抵抗があった。

中でも、いざないは別格だった。わたしは貴重な3曲の中にいざないを選んだけど、再録して欲しくて投票したんじゃない、と泣きたくなる気持ちになった。

 

幾千年 時をかけ Let Me Go いつでも

幾千の 恋の行方 Let Me Know 見ていた

あの月に Everything 願いを託し Get Away

 

テゴマスのハモが美しく響く、I・ZA・NA・I・ZU・KIのこのパートは、ふたりの歌の進化の歴史だ。

8人、7人、6人、4人とどれだけ人数が減っても、歌割りが目まぐるしく変化しても、このパートはテゴマスのものだった。

 

互いに背中を預けて、ときにはちらりと目を合わせて、上から下へと行き来するこの難しいパートを歌う手越くんと増田さんは、まるで世界でふたりぼっちみたいな。本当にそんな感じだった。そういうテゴマスが大好きだった。

 

再録したら、テゴマスのパートはどうなるのか。増田さんが1人で歌うのかな。それともコヤシゲどっちかとハモったりするのかな。どちらにせよ、今もまだテゴマスを忘れられないわたしが苦しくなることは確実、のような気がする。

 

いや、実際に聴いてみたら案外ケロッとしてるのかもしれないけど、分からないけど、だからこそ今、I・ZA・NA・I・ZU・KIの歴史が更新される前に、このブログを書いておきたい。テゴマスパートがどんなふうに進化してきたのか、その背景には何があったのかを、自分なりにおさらいして、この苦くてせつない気持ちを永久に保存しておく。これはきっと、今じゃないとできないこと。

 

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①最初期

I・ZA・NA・I・ZU・KIは2005年発売のアルバム、「touch」に収録されている曲。8人体制だった当時の歌割りは、

幾千年 時をかけ Let Me Go いつでも(テゴマスハモ)

幾千の 恋の行方 Let Me Know 見ていた(テゴマスハモ)

あの月に Everything 願いを託し Get Away(草野)

だったらしい。いざないの最初期からNEWSのことを応援していたかったけど、当時のわたしは4歳である。厳しい。

 

 

②2006-2007あたり

「発展途上のふたり」

NEWSは6人体制で活動を再開することになる。メンバーの脱退により歌割り変更。幾千年~Get awayはすべてテゴマスに任された。

2006年といえば、テゴマスの正式なデビュー年。それまでもジュニア時代に隣でマイクを持ったり、NEWSの中で「ずっと」「ありがとう・今」などのユニット曲を出すことはあったけど、テゴマス単体でCDを出すのは「ミソスープ」が最初。話は逸れるが、よく考えたら記念すべきデビュー曲がミソスープて何?しかも英語ver.って本当に何?何?ミソスープ?お味噌汁じゃなくミソスープなのは海外デビューだったから?ほんとおもしれ〜アイドルと事務所・・・・・

はい、余談はさておき、このときはまだ手越くんも増田さんも発展途上というか、今よりもずっと細い声をしていた。ふたりのハモはきれいだったけど、まだひとりとひとりの歌の組み合わせという感じが否めない。(個人の感想)

 

 

③DIAMOND  2010年

手越祐也の進化、音域の広がり」

わたしはDIAMONDのいざないを聴いて、手越くんの歌の進化に目を見開いた。増田さんももちろん上手だけど、手越くんは頭ひとつ抜けていた。ハモパート最後の「get away」、メロディの増田さんは裏声を使っていたけど、上ハモの手越くんは裏声を使わず地声で歌っていて、手越くんが一歩先を行っているのは明らかだった。

手越くんは、strawberry(2018)の特典映像「ぼくたちの、原点。」の中で、星をめざして(2007)を大切な曲として挙げていた。歌うことが大好きで、得意で、なのにグループの中でなかなか歌割りが増えなかった彼は、死ぬ気で歌の練習を重ねた。その結果掴んだチャンスが、星をめざしてのソロパートだった。

誰よりも負けず嫌いで努力家な手越くんは、みずからの価値を高めるために、そして自尊心を保つために、死にものぐるいで歌を磨いていたんだろうなと思う。その結果としての、音域の広がり。増田さんが努力していないわけが無いけど、手越くんの進化はそれほど凄まじかった。

 

 

④美恋  2012年

「増田貴久の追随」

4人体制初のライブでもいざないは歌われた。スライドするステージに乗って歌うふたり。このときの増田さんの歌声には聴く人を飲み込むような深みがあって、とてもじゃないけどDIAMONDのほんの2年後とは思えなかった。

テゴマスのまほう(2011)の円盤を見たときにも思ったけれど、この時期の増田さんの成長は凄まじい。歌の技術はもちろん、魅せ方、声の出し方、全てが爆発的に進化していてびっくりした。テゴマスのあい(2010)のとき、「俺は手越より身体でかいけど声は小さいから」「手越がカラオケで1人でミソスープ歌ったら、(俺の)下ハモが無くて聴きやすいなってみんな思うんじゃない?」なんて、相方と自分を比べて、自信を失って、ちょっぴり卑屈になっていた増田さん。フロントメンバーの2人の脱退も重なって、もしかしたらNEWSがなくなってテゴマスだけになるかもしれない、そんな状況下で、彼もまた、自分の存在意義を証明するために、死にものぐるいで歌を磨いたんだろうな、と思う。

 

 

⑤QUARTETTO  2016年

「テゴマスのてっぺん、に見えた」

少し間が空いて、いざないはQUARTETTOで久しぶりに歌われた。わたしが初めて聴いたいざないはQUARTETTOのものだ。真っ白の衣装にプロジェクターからの光が当たり、様々な色や形が映し出され、瞬きするごとに変化していく演出。

QUARTETTOのいざないのテゴマスハモはまさに神がかっていた。お互いの目を見つめ合い、頷き、どちらかの声が浮いて聴こえることも無く、ふたりの努力と成長がぴったり重なったようなハモ。歌でしか繋がることが出来ない正反対のふたりが、強く結びつく瞬間。泣きたくなるほど好きだ。ここが最高峰だと思っていた。

 

 

⑥WORLDISTA  2019

「最期」

QUARTETTOの3年後、テゴマスは最高を更新した。WORLDISTAのライブで歌ったいざないのハモ。手越くんと増田さん、歌が上手いのは大前提で、ふたりの歌声が重なると最高なのは大大前提で、それでもこのときのいざないは最高としか言い表せない。音は1ミリも外さないまま、こんなにも感情を込めて歌えるのか。お互いの心をぶつけ合うような、命を削るようなハモに心が震えた。そしてこれが最期だった。

WORLDISTAの円盤が発売されたのは2020年10月。わたしたちは、既に失われた最高のふたりを目の当たりにしなければならなかった。当時は手越くんが事務所を退所してからまだ日が浅く、テゴマスや4人NEWSへの思いが今よりも強くあったから、現実を受け入れるのが難しかった。ふたりの歌声が重なるとこんなにも美しいのに、唯一無二のふたりのはずなのに、もう二度と一緒に歌うところが見れないなんて、嘘みたいだった。はじめて円盤を見た時、いざないのところで涙が止まらなくなった。なんで、どうして。映像の中の増田さんの隣には手越くんがいるのに、もう、いないの。

 

 

この想いをわたしは今もまだ引きずっている。

過去の良い思い出、なんて割り切ることはできない。だから今、手元に届いたNEWS EXPOのアルバムの、I・ZA・NA・I・ZU・KIだけ聴けずにいる。聴いたら、わたしの愛したふたりの物語がまたひとつ終わってしまう気がして、聴けないでいる。