世界でいちばんのきみへ

ありがとうとごめんね

0番に立つ君のこと

 

 

「増田さんのセンター像はてごちゃんなんだね」

 

 

非ジャニオタの友人相手に、大学の近くのトリキで、薄いアルコール片手にNEWSの「音楽」ツアーがいかに素晴らしいかを聞いてもらっていた。

それは、ライブ会場のいちばん真ん中に立つ増田さんの背中に、なんだか手越くんを感じてしまったと話したときだった。

彼女はなんでもないことのように、さらりとそう言った。

 

そうか、とすとんと落ちた気がした。

ジャニオタではない、ただ、わたしの熱量たっぷりの演説を毎回受け止めてくれている彼女の言葉は、わたしのこころの深いところまで沈みこんで、ゆっくりと着地した。

 

 

 

 

 

 

手越くんが辞めた直後にますださんがあげたRINGを読んで、まるで手越くんが乗り移ったみたいな言葉の使い方だと思った。

 

書き出しから、貴久くんにしてはあまりにも素直すぎる言葉の並び、言い回し。まるで手越くんがのりうつったみたい、と思った。

 

手越くんが辞めた後に書いたブログでわたしはこんなことを言っていた。スクショも何もしていなかったから当時の増田さんの文章がどんな感じだったかはもう分からなくなってしまったけど、読んだときの衝撃はよく覚えている。

 

正直に言うと、わたしは手越くんがNEWSを辞める前から彼の文章があまり好きではなかった。なんというか、素直すぎるというか、強すぎるというか。テレビでコメントするときも彼は同じようにストレートな表現をしたけど、それは彼のチャーミングな振る舞いと声とキャラクターで包み込まれてこちらに届くから、特に気にならなかった。ただ、それが文章の羅列になるとなかなかきつくて、なんでこんな言い方するんだろう、と思ってしまうことも多々あった。

 

対して、増田さんの文章はわりと真逆で、やりすぎではと思うくらいまあるい言葉だらけだった。行間をたっぷりとって、ひらがな多めで、絵文字もたっぷり使って、ひとりでボケて、セルフでツッコんで。増田さんの言葉に引っ掛かりを覚えたことはない。ただ一度を除いて。

 

その一度というのが前述のRINGなのだ。手越くんの文章に対して抱いていた違和感がそのとき増田さんの文章の中に突然現れて、戸惑ったのを覚えている。

 

 

 

それから3人の活動が始まって、増田さんの中にいる彼を何度も見かけた。

 

 

 

3人になってから増田さんは歌い方が変わった。

増田さんは、手越くんと一緒に歌う時、彼の派手で華やかな歌声をまるく包み込み、やさしいハーモニーを奏でて、彼に目線を持っていくような歌い方をしていた。ある程度余裕をもって歌いながら、あまったところをほかのパフォーマンスに回して全部を使い切るような力の使い方がとても好きだった。

「えっ手越が上手いのは知ってたけど、まっすーもこんな歌上手いんだ!」と言われるような、1番目立つわけじゃないけど確かな実力者、みたいな増田さんの歌が大好きだった。

 

増田さんは6→4になったとき、歌割りを引き継ぐことにすごく葛藤があったと言っていた。たとえば、Shareの歌割りでかなり悩んだり、バンビーナの山下くんのセリフパートを引き継ぐのを渋ったり。

でも、4人の曲を歌うとき、手越くんの華やかで難しいパートを肩代わりするのは大抵増田さんだった。技術的に増田さんしか歌えないようなところもあるのだろうけど、それにしても増田さんが引き継いだパートが多いように思えた。わたしはそこから、なにか、もう隣にはいない唯一無二の相方に対する意思のようなものを感じた。

 

手越くんが辞める直前の配信ライブで、URのサビ前を増田さんが全部歌いきったときは衝撃だった。サビ前のシゲマス・コヤテゴのユニゾンパートを歌い、サビを歌い、酸欠になりそうな増田さんを見て、その想いに頭がくらくらした。唯一歌わなかった「あの日つまずいてしゃがみこんでしまうほどの痛みさえ」でカメラに抜かれたとき、増田さんは口をひとつに結んでどこか遠くを見ていた。そのときもう手越くんが辞めることを知っていたのかどうか、分からないけど、そこには増田さんの覚悟があった。この先グループにどんなことが起きようとも、自分が背負って立つという覚悟。

 

3人になって、増田さんはコヤシゲに挟まれる形でセンターに立つことになった。歌に関していちばんに居続けた彼がいなくなって、曲の見せ場でマイクを任されるのは増田さんになった。激しいシャウトもハイトーンも、増田さんがやった。新しい曲が出るたび、増田貴久というボーカリストの新境地を覗き見た。それは喜ばしいことではあったけど、ますださんのまあるい歌声が大好きなわたしとしては少し寂しさもあった。手越くんと一緒に歌っていた増田さんはもういなくなってしまったのかなあ、と。

けれど、増田さんが進むのは当たり前といえば当たり前だった。単純に、これまで4分の1だったものが3分の1になるんだから、歌割りは増える。歌う人が居なくなった歌詞を埋めて、それ以上の完成度にしなければいけない。これまで2人でNEWSの歌を引っ張ってきたものを、1人でやらなければいけない。

増田さんのまあるい歌声が恋しくなるときもあるけれど、そんなこと言ってられない、とも思う。

 

 

「音楽」でも忘れられない出来事があった。

福岡公演に入ったとき、わたしはセンステをちょうどまっすぐ見られる位置のスタンド席だった。福岡までに何公演か入らせてもらったのだけど、それまで一度も泣かなかったカナリヤで信じられないくらい泣いた。その理由は、増田さんがセンターをしていたから、だった。

 

増田さんの歌い出しで始まるこの曲は、手越くんが抜けたあと、増田さんがメインパーソナリティを務めた24時間テレビで初披露された。時期が時期だったから、誰もがNEWSの現状に歌詞を重ね合わせたと思う。そういう、湿度の高い曲。

センターステージでひとり照らし出され、増田さんがいのちを吹き込むみたいに最初のフレーズを歌い終わると同時にコヤシゲにスポットが切り替わる。そしてサビに合わせてコヤシゲの真ん中に走り込み、前に立つ増田さん。ここでもうかなりダメだった。

大サビまで全てを歌い終わると、増田さんはたったひとりでメインステージに歩いていく。数秒遅れて、2人並んで追随するコヤシゲ。アリーナや、花道をサイドから見る位置からではその演出の意図がよく分からなかったけど、センステから花道までの全体を見渡せる席だと、見え方が180度違った。その構図はまるで、増田さんがセンターとして2人の前に立ち、盾となり、矛となり、NEWSの看板を背負って進んでいく様子を暗示しているようで。いつかの手越くんの言葉を思い出してしまった。

 

センターに立つ以上、NEWSのシールドになろうって。もしかしたら批判を浴びることがあるかもしれない。グループへの批判も、ほかの3人への批判も全部、俺が全部引き受けようって決めた。"批判がある方は手越までどうぞ"みたいな感じ。そのかわり、ほかの3人のことは言わないでって。

 

増田さんは、手越くんが定義したセンターを体現しているようにみえた。だから、わたしはボロボロ泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

「増田さんのセンター像はてごちゃんなんだね」

 

心に刻みたい言葉である。増田さんの中でセンターと言えば、山下くんでもジェシーでも佐藤勝利くんでもなく、手越くんなんだ。増田貴久というスーパーアイドルにとって、手越祐也の存在は、オタクが想像するよりはるかに重く、尊く、そして苦いものなんだと思う。

退所から何年経っても増田さんの背中に彼を感じてしまうのは、そういうからくりだった。

 

 

 

 

0番に立つ君と、真後ろにたたずむあなたのこと