世界でいちばんのきみへ

ありがとうとごめんね

ここが世界の中心になる

彼の親友が新たな道を進むと決めた次の日、わたしはWEST.のファンクラブに入会した。神ちゃんかも、流星くんかも、小瀧くんの顔マジで好き!とさんざん迷っていたのに、わたしの指はあまりにもあっさりと、好きなアーティストに重岡大毅を選択していた。

 

メンカラ赤の人は好きにならない、センターは自担にならない、そう思っていたはずだった。

 

 

 

 

これは、メンカラ赤のアイドルに耐性がないオタクがWEST. の重岡くん担当になるまでの備忘録。

 

 

 

 

わたしの中で、自担になる条件は

①グループごと大好きになる

②その上で自担候補のことがダントツで好きになる

③音楽性を好きになる  

の3つである。この3つが揃わない限りは絶対に自担にはならない。さて、重岡大毅さんはどのようにしてわたしの自担条件をクリアしていったのだろうか(偉そう)。いざアマゾンの奥地へ。

 

 

このブログを書こうと思って「重岡」のワードを入れて自分のツイートを検索したら、2021年の年末に中間担の友人に円盤を見せてもらって、まんまと重岡くんにメロっていたのが最初だった。早すぎ。

 

その後に出てきたツイートは2022年JGRのマリカ最強王決定戦の生配信。

重岡さん「ほんま神ちゃん好きやで。大好きやで、俺」←世界でいちばん大切にしたい(怖・オタク)

かみしげはやべぇシンメだと聞いてはいたけど全然覚悟が足りていなかった。乾いたシンメ厨の心にまあ〜〜〜〜〜〜刺さる刺さる。全然好きで困る。無理かもどうしよう。この(↓)やり取り好きすぎてn億回リピートした。ヤベェ。ほんで何時にツイートしとんねん。

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でもわたしはこの時点ですでに3人も自担がいたので。さすがにこれ以上大好きを増やしたら心がもたないと思って、ずっと沼の浅瀬でちゃぷちゃぷしていた。

 

そんな私がWESTくんにより深くハマったきっかけは、WESTube。ブルベの顔がいい男は黒髪センターパートにしとけばええねん教の熱心な信者たるわたしは、2023年それパクの黒髪サラストセンターパートの重岡くんのビジュが死ぬほど刺さった。無理すぎる。元々好きな顔のアイドルが好きな髪型をしていたらおしまいになるのがジャニオタというものである。かねてからわたしを重岡担にしようと機を窺っていたフォロワーさんにここぞとばかりにYouTubeをゴリ押しされた。重岡くんの黒髪センターパートビジュを摂取(摂取?)したすぎて、暇を持て余した夏休みの時期にYouTubeに手を出した。(薬物?)

自分が関西人ということもあって、関西弁のおもしれ〜男が大好きなので、ジャニーズWESTのテンポのいいツッコミとボケが本当に私のツボに刺さった。重岡くん目当てで見始めたけれど、いつのまにかこのおもしれ〜アイドルたちがみんな大好きになっていった。

 

でもまだ理性があったわたしは、音楽系のコンテンツには手を出さなかった。WESTubeが更新されてもそれがパフォーマンスの動画なら意図的に飛ばしていた。理由は簡単。ハマっちゃうから。

このオモロお兄さんたちもステージに上がればたちまちキラキラアイドルになること、わたし分かるもん……ダメダメ絶対ダメこれ以上ハマりたくない……わかるんだもん……トトロ見たもん……←?

しかし運の悪いことに(良いことに)、重岡くんと流星くんの秋冬ドラマが決まった。主題歌はどちらもジャニーズWESTで、まったく毛色の異なる2曲。ついにわたしはジャニーズWESTの音楽コンテンツに手を出した。絶体絶命の重岡くんの光のない瞳に吸い込まれた。神ちゃんの諦観を含んだ悲しげな歌声をバックに、縋り付くような演技をする重岡くんを見て脳みそが溶けそうになった。てか溶けた。(いいえ。)

絶体絶命、Beautifulに加えてAS ONEもよくない。サッカー曲と言えばで思い当たる節がある可哀想なNEWS担なので、思い出に浸ったりもした。

 

その流れで、今までなんとしてでも回避していたジャニーズWESTの音楽コンテンツを一気に見た。それはもうタガが外れたように全部吸った。(吸うな。)多様なジャンルの曲たちに夢中になった。元々知ってはいたけど、歌うま三銃士をはじめ、全員の歌が上手くて最高だった。はじめての東京ドームで星の雨を歌う重岡くんは儚くていつか消えてしまいそうで、苦しかった。担当関係なく全員が近くのお立ち台に立つメンバーの色のペンライトを光らせ、制御無しで綺麗に7色にわかれた東京ドームを見て、ジャス民さんのこともすごく好きになった。

 

・・・・・・・・・・・・まずい。

お気づきだろうか。かなりまずい状況である。繰り返しになるが、わたしの中で、自担になる条件は①グループごと大好きになる②その上で自担候補のことがダントツで好きになる③音楽性を好きになる  の3つだ。重岡くんとジャニーズWESTは①②③を完璧に満たしている上に、わたしはジャニーズWESTのファンのことまで好きになってきている。非常にまずい。

 

9月。NEWSのライブ終わりにフォロワーと飲みにいったわたしが放った言葉はそう、「重岡担って名乗りたいと思っちゃってる」である。呆れた顔をしたフォロワーに「それはもうおしまいだよ」と言われたのを覚えている。

その直後、宇宙を駆けるよだかを一気見してかみしげのデカさに倒れ伏すわたし。←とても可哀想

重岡くん演じる火賀くん、を演じる神ちゃん。神ちゃん演じるしろちゃん、を演じる重岡くん。こんな激ヤバコンテンツがこの世にあっていいのかと。本当に頭がおかしくなりそう。とんでもねぇかみしげ。大学の友人(非ジャニオタ)にオタクの早口でよだかのヤバさを語ったら生涯二番目の女なじりをされ哀れまれる始末。ちなみにこの友人もアイドルを辞めた子に永遠にしがみついてる可哀想ドルオタなので類友である。

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そして、10月18日。ジャニーズWESTを好きな人なら、いい意味でも悪い意味でも記憶に残っている日だと思う。この日、ジャニーズWESTはWEST.に成った。生配信で歌ってくれた証拠のアウトロで「みなさんの人生を謳歌するのに俺たちの歌が必要なら、いつでも情熱かけて、命かけて歌うぜよろしく!!!」と息を切らしながら叫ぶ重岡くんに心が震えた。10周年を目前にして、デビューとともに寄り添ってきた名前を変えなきゃいけない、悲しくて悔しくてどうしようもなくなってしまってもおかしくないときなのに、それを微塵も見せず、笑って、笑う。本当に太陽みたいな人なんだと思った。ああ大好きだ、って思ってしまった。

あと10月はYouTubeを徘徊しているときに重岡くんがウインクをしている動画を見つけて気が狂った。"ウインクというアイドルの象徴のような行為を重岡大毅さんがしている"という事実に、狂った。わかりますか?この気持ち。

 

年末、例の中間担の友人に円盤を借りて、♡24(ニシ)から感謝🎄届けます♡を見始めた。背の高いツインと170cm前後のかみしげが横並びになるのを見て、4人時代のNEWSと重ね合わせてレコーダーと呼吸が一時停止。とてもとても抱えきれなくて、そのまま年末実家に帰省したので、レコーダーとわたしの呼吸は2週間近く放置されていた。

 

そして、決定的な瞬間は突然訪れる。

実家でダラダラしながら中華食べ放題の動画を見返していたとき。なんだか神ちゃんが可愛くてかっこよくて、あー神山担になりたいかもなんて思った次の瞬間、でも重岡担って名乗れないのか、重岡くんのうちわ持てないし、ペンライトを赤に光らせることも出来ないのか、それってすごく・・・嫌やな・・・という自分の感情に気づいて、ものすごく動揺した。そんなんもう、重岡担やん。

そんな心の揺れを抑えられないでいるうちに、冒頭の、中島健人さんのグループ脱退が発表されて。もう、居てもたってもいられなくなった。ケンティーは絶対にずっとずっと永遠にグループにいて、永遠にみんなのアイドルでいるだろうというジャニオタの共通認識が崩れ去った。じゃあもう、この先誰がどうなるかなんてなにも分からないじゃないか。わたしはもう、後悔したくない。わたし、重岡担って、名乗ってもいいかな。

 

そこからの記憶はあまりない。(は?)なんか気がついたらFCサイトを開いて、登録メールを開いて、情報を入力して、「お気に入りのアーティスト」に重岡大毅を選んでいた。

FC入りましたご報告ツイートをしたらフォロワーから今までついたことのない数のいいねがきて笑った。以下、わたしがずぶずぶと沼の底に突き進んでいく様子を見守ってくれていたフォロワーたちのありがたいお言葉一部抜粋。

「ハッピーバースデー重岡担😆😆😆😆😆」

「人はこうして沼にハマっていくんだな…とゆずちゃんが重岡くんに沼る一連の流れを歯茎全開で見ていました」

「テレビと話すタイプのお母さんみたいな感じで、いやーもうそれはそうやろ!!😅って心の中で合いの手(?)入れながら数日見守ってたけどついに おめでとう😘」

おもしれー友人たちに恵まれました。おかげさまで、今日も毎日楽しく重岡担をしています。

 

 

 

 

 

 

どちらかというと裏主人公みたいなアイドルをすきになることが多いわたしが、アカレンジャーを推すなんて思ってもみなかったけど、重岡くんのことを好きになるのはきっと必然だったんだと思う。歌やパフォーマンスにかける思い、まっすぐな言葉と確かな実力、アイドルという人生に対する重たい向き合い方。わたしの短いジャニオタ人生で積み重ねてきた好きの集大成みたいなひとが現れたら、そりゃあ推すしかないじゃないか。

重岡担を名乗り始めて1ヶ月。WEST.の真ん中で、世界の中心できらきら笑う重岡くんに、今日も救われている。

ただ、あなたを守れる言葉

NEWS EXPO 福岡公演に参戦してきた。

どうしても会いたくて。増田さんの顔が見たくて、ライブ4日前に福岡行きを決めた。前日に思い立って5時間後に出発するバスを予約して2徹で広島最終公演に参加した時よりは全然マシなスケジュールだったけど、それでもかなりドタバタだった。でも、どうしても会いたかった。就活の予定がしんどくなろうが、お金が無かろうが、どうしても。増田さんに会うまでは何も手につかないと思ったから。

「ずっと幸せでいてね」といううちわを作って持っていった。新幹線の中でセトリの順に並べたプレイリストを聴いて泣きそうになった。

 

福岡1日目の増田さんは明らかに元気がなかった。MCではコヤシゲが話しているところになかなか入っていかなくて、何を話そうか、何なら話してもいいのか、考えて考えて考えて話せなくなっているみたいで、とても静かだった。大丈夫だよ、ここには増田さんを傷つける人は誰もいないよ大好きだよって、叫びたくなった。シゲの小説家歴の話の流れで慶ちゃんに「まっすーはなんか、俺たちも知らないような、10年続けてることとかないの?」って聞かれて、ちょっと迷った後にゆっくりと「アイドル。」って言ったりして、それを聞いて泣きそうになった。最後の挨拶の時、「えー、えー…すみませんでした」ってぽつりと言って、そのあとすぐに「前半機材の調子が良くなくて、すみませんでした」って付け足してたけど、最初のはきっと例のことに対する謝罪だったんじゃないかなと思う。1日目はこんな感じで、正直ずーーっとしんどかった。

 

2日目昼公演はありがたいことにアリーナに入らせてもらって、ちょうどトロッコがよく見える位置で。肉眼で増田さんの顔が見えた時、生きていてくれてありがとうって心の底から思った。生きているだけでいいから。死ぬまでアイドルでいて欲しいとか、表舞台にずっと居続けて欲しいとか、もうそんな高望みしないから、ただ生きていてくれてありがとうって。MCでは慶ちゃんが増田さんのことを可愛い可愛いね面白いね調子いいねって褒めまくってこれでもかというくらい甘やかしてくれて、甘やかされるたびに増田さんとんでもなくかわいい顔をしてて。幸せだった。慶ちゃんありがとう。増田さんが「ますのはて、発売!」ってわけわかんなボケを2回もしてたけどちゃんと拾って処理してくれてシゲもありがとう。

 

 

 

あの記事を見た時、ヒュッと身体が冷える心地がした。私は広島2日目夜公演しか入っていないから、該当の言葉を生で聞いたわけではない。だから、わからなかった。どんな状況であの言葉を発してしまったのか、どういう空気感だったのか、何も分からなくて、でも私よりも何も知らないであろう人たちが私の大切な人を汚い言葉で傷つけているのを見て、ただただ心が痛かった。

 

広島での増田さんは、ジャニーズとして立つ最後のステージでの増田さんは、明らかにハイになっていた。ジャニーズを愛し続けた人。命をかけてステージに立っている人。二十五年間スキャンダルひとつ出さず、真っ直ぐにファンに愛を向けてくれる、ジャニーズのアイドルとして人生全部を捧げてきた人。広島2日目夜の「ジャニーズは永久不滅です」の言葉にもそれが表れていた。そんな人があの時冷静でいられるはずがなかっただろう。発した言葉自体はどう考えても良くなかったと思うけど、彼の心情やあの時の状況を考えると大きな声で責め立てることなんてとてもできなかった。それなのに「悪いことは悪いと言わなきゃ」とか、「これだから増田担は」とか、同じNEWS担からもきつい言葉が流れてきて、私は勝手にひどく傷ついた。でもただのオタクの私なんかより、増田さんの方がずっとずっとずっと辛いはずだった。増田さんが心を痛めて、ここからいなくなってしまったらどうしようって、本気で怖かった。

 

被害者救済は間違いなく一番に置いておかなければならない。でも、今現在も表舞台に立ち続け、時には好奇の目で見られ、時には心ない言葉で傷つけられ、それでも笑顔を見せ続けなければいけないアイドルのことは、誰が守ってくれるんだろう。信頼していた人の残酷な事実を突きつけられ、昨日まで一緒に仕事をしていた人たちに急に背を向けられ、それでも笑顔でいなければいけない彼らの心は、置き去りにしていいのか。

 

 

ジャニーズのタレントは優しいひとたちばかりだから、自分の心はそっちのけでファンのことまで心配してくれるけど、今はファンのことなんて何も気にしなくていいから、私たちは私たちで頑張って自分の心を守るようにするから、どうかあなたたちも自分で自分の心を一番に守ってほしい。

大好きなあなたが、もう二度と苦しい思いをせず、幸せに生きられますように。

「死んでもいいわ」なんていえない

 

I・ZA・NA・I・ZU・KIがNEWS EXPOで再録されると分かったとき、こんなツイートをした。

正直、複雑だった。わたしは4人時代からのオタクだから、たとえばUR not aloneや「生きろ」、フルスイングなど、4人のために作られた、4人の物語が刻まれた曲を3人で再録するということにかなり抵抗があった。

中でも、いざないは別格だった。わたしは貴重な3曲の中にいざないを選んだけど、再録して欲しくて投票したんじゃない、と泣きたくなる気持ちになった。

 

幾千年 時をかけ Let Me Go いつでも

幾千の 恋の行方 Let Me Know 見ていた

あの月に Everything 願いを託し Get Away

 

テゴマスのハモが美しく響く、I・ZA・NA・I・ZU・KIのこのパートは、ふたりの歌の進化の歴史だ。

8人、7人、6人、4人とどれだけ人数が減っても、歌割りが目まぐるしく変化しても、このパートはテゴマスのものだった。

 

互いに背中を預けて、ときにはちらりと目を合わせて、上から下へと行き来するこの難しいパートを歌う手越くんと増田さんは、まるで世界でふたりぼっちみたいな。本当にそんな感じだった。そういうテゴマスが大好きだった。

 

再録したら、テゴマスのパートはどうなるのか。増田さんが1人で歌うのかな。それともコヤシゲどっちかとハモったりするのかな。どちらにせよ、今もまだテゴマスを忘れられないわたしが苦しくなることは確実、のような気がする。

 

いや、実際に聴いてみたら案外ケロッとしてるのかもしれないけど、分からないけど、だからこそ今、I・ZA・NA・I・ZU・KIの歴史が更新される前に、このブログを書いておきたい。テゴマスパートがどんなふうに進化してきたのか、その背景には何があったのかを、自分なりにおさらいして、この苦くてせつない気持ちを永久に保存しておく。これはきっと、今じゃないとできないこと。

 

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①最初期

I・ZA・NA・I・ZU・KIは2005年発売のアルバム、「touch」に収録されている曲。8人体制だった当時の歌割りは、

幾千年 時をかけ Let Me Go いつでも(テゴマスハモ)

幾千の 恋の行方 Let Me Know 見ていた(テゴマスハモ)

あの月に Everything 願いを託し Get Away(草野)

だったらしい。いざないの最初期からNEWSのことを応援していたかったけど、当時のわたしは4歳である。厳しい。

 

 

②2006-2007あたり

「発展途上のふたり」

NEWSは6人体制で活動を再開することになる。メンバーの脱退により歌割り変更。幾千年~Get awayはすべてテゴマスに任された。

2006年といえば、テゴマスの正式なデビュー年。それまでもジュニア時代に隣でマイクを持ったり、NEWSの中で「ずっと」「ありがとう・今」などのユニット曲を出すことはあったけど、テゴマス単体でCDを出すのは「ミソスープ」が最初。話は逸れるが、よく考えたら記念すべきデビュー曲がミソスープて何?しかも英語ver.って本当に何?何?ミソスープ?お味噌汁じゃなくミソスープなのは海外デビューだったから?ほんとおもしれ〜アイドルと事務所・・・・・

はい、余談はさておき、このときはまだ手越くんも増田さんも発展途上というか、今よりもずっと細い声をしていた。ふたりのハモはきれいだったけど、まだひとりとひとりの歌の組み合わせという感じが否めない。(個人の感想)

 

 

③DIAMOND  2010年

手越祐也の進化、音域の広がり」

わたしはDIAMONDのいざないを聴いて、手越くんの歌の進化に目を見開いた。増田さんももちろん上手だけど、手越くんは頭ひとつ抜けていた。ハモパート最後の「get away」、メロディの増田さんは裏声を使っていたけど、上ハモの手越くんは裏声を使わず地声で歌っていて、手越くんが一歩先を行っているのは明らかだった。

手越くんは、strawberry(2018)の特典映像「ぼくたちの、原点。」の中で、星をめざして(2007)を大切な曲として挙げていた。歌うことが大好きで、得意で、なのにグループの中でなかなか歌割りが増えなかった彼は、死ぬ気で歌の練習を重ねた。その結果掴んだチャンスが、星をめざしてのソロパートだった。

誰よりも負けず嫌いで努力家な手越くんは、みずからの価値を高めるために、そして自尊心を保つために、死にものぐるいで歌を磨いていたんだろうなと思う。その結果としての、音域の広がり。増田さんが努力していないわけが無いけど、手越くんの進化はそれほど凄まじかった。

 

 

④美恋  2012年

「増田貴久の追随」

4人体制初のライブでもいざないは歌われた。スライドするステージに乗って歌うふたり。このときの増田さんの歌声には聴く人を飲み込むような深みがあって、とてもじゃないけどDIAMONDのほんの2年後とは思えなかった。

テゴマスのまほう(2011)の円盤を見たときにも思ったけれど、この時期の増田さんの成長は凄まじい。歌の技術はもちろん、魅せ方、声の出し方、全てが爆発的に進化していてびっくりした。テゴマスのあい(2010)のとき、「俺は手越より身体でかいけど声は小さいから」「手越がカラオケで1人でミソスープ歌ったら、(俺の)下ハモが無くて聴きやすいなってみんな思うんじゃない?」なんて、相方と自分を比べて、自信を失って、ちょっぴり卑屈になっていた増田さん。フロントメンバーの2人の脱退も重なって、もしかしたらNEWSがなくなってテゴマスだけになるかもしれない、そんな状況下で、彼もまた、自分の存在意義を証明するために、死にものぐるいで歌を磨いたんだろうな、と思う。

 

 

⑤QUARTETTO  2016年

「テゴマスのてっぺん、に見えた」

少し間が空いて、いざないはQUARTETTOで久しぶりに歌われた。わたしが初めて聴いたいざないはQUARTETTOのものだ。真っ白の衣装にプロジェクターからの光が当たり、様々な色や形が映し出され、瞬きするごとに変化していく演出。

QUARTETTOのいざないのテゴマスハモはまさに神がかっていた。お互いの目を見つめ合い、頷き、どちらかの声が浮いて聴こえることも無く、ふたりの努力と成長がぴったり重なったようなハモ。歌でしか繋がることが出来ない正反対のふたりが、強く結びつく瞬間。泣きたくなるほど好きだ。ここが最高峰だと思っていた。

 

 

⑥WORLDISTA  2019

「最期」

QUARTETTOの3年後、テゴマスは最高を更新した。WORLDISTAのライブで歌ったいざないのハモ。手越くんと増田さん、歌が上手いのは大前提で、ふたりの歌声が重なると最高なのは大大前提で、それでもこのときのいざないは最高としか言い表せない。音は1ミリも外さないまま、こんなにも感情を込めて歌えるのか。お互いの心をぶつけ合うような、命を削るようなハモに心が震えた。そしてこれが最期だった。

WORLDISTAの円盤が発売されたのは2020年10月。わたしたちは、既に失われた最高のふたりを目の当たりにしなければならなかった。当時は手越くんが事務所を退所してからまだ日が浅く、テゴマスや4人NEWSへの思いが今よりも強くあったから、現実を受け入れるのが難しかった。ふたりの歌声が重なるとこんなにも美しいのに、唯一無二のふたりのはずなのに、もう二度と一緒に歌うところが見れないなんて、嘘みたいだった。はじめて円盤を見た時、いざないのところで涙が止まらなくなった。なんで、どうして。映像の中の増田さんの隣には手越くんがいるのに、もう、いないの。

 

 

この想いをわたしは今もまだ引きずっている。

過去の良い思い出、なんて割り切ることはできない。だから今、手元に届いたNEWS EXPOのアルバムの、I・ZA・NA・I・ZU・KIだけ聴けずにいる。聴いたら、わたしの愛したふたりの物語がまたひとつ終わってしまう気がして、聴けないでいる。

 

0番に立つ君のこと

 

 

「増田さんのセンター像はてごちゃんなんだね」

 

 

非ジャニオタの友人相手に、大学の近くのトリキで、薄いアルコール片手にNEWSの「音楽」ツアーがいかに素晴らしいかを聞いてもらっていた。

それは、ライブ会場のいちばん真ん中に立つ増田さんの背中に、なんだか手越くんを感じてしまったと話したときだった。

彼女はなんでもないことのように、さらりとそう言った。

 

そうか、とすとんと落ちた気がした。

ジャニオタではない、ただ、わたしの熱量たっぷりの演説を毎回受け止めてくれている彼女の言葉は、わたしのこころの深いところまで沈みこんで、ゆっくりと着地した。

 

 

 

 

 

 

手越くんが辞めた直後にますださんがあげたRINGを読んで、まるで手越くんが乗り移ったみたいな言葉の使い方だと思った。

 

書き出しから、貴久くんにしてはあまりにも素直すぎる言葉の並び、言い回し。まるで手越くんがのりうつったみたい、と思った。

 

手越くんが辞めた後に書いたブログでわたしはこんなことを言っていた。スクショも何もしていなかったから当時の増田さんの文章がどんな感じだったかはもう分からなくなってしまったけど、読んだときの衝撃はよく覚えている。

 

正直に言うと、わたしは手越くんがNEWSを辞める前から彼の文章があまり好きではなかった。なんというか、素直すぎるというか、強すぎるというか。テレビでコメントするときも彼は同じようにストレートな表現をしたけど、それは彼のチャーミングな振る舞いと声とキャラクターで包み込まれてこちらに届くから、特に気にならなかった。ただ、それが文章の羅列になるとなかなかきつくて、なんでこんな言い方するんだろう、と思ってしまうことも多々あった。

 

対して、増田さんの文章はわりと真逆で、やりすぎではと思うくらいまあるい言葉だらけだった。行間をたっぷりとって、ひらがな多めで、絵文字もたっぷり使って、ひとりでボケて、セルフでツッコんで。増田さんの言葉に引っ掛かりを覚えたことはない。ただ一度を除いて。

 

その一度というのが前述のRINGなのだ。手越くんの文章に対して抱いていた違和感がそのとき増田さんの文章の中に突然現れて、戸惑ったのを覚えている。

 

 

 

それから3人の活動が始まって、増田さんの中にいる彼を何度も見かけた。

 

 

 

3人になってから増田さんは歌い方が変わった。

増田さんは、手越くんと一緒に歌う時、彼の派手で華やかな歌声をまるく包み込み、やさしいハーモニーを奏でて、彼に目線を持っていくような歌い方をしていた。ある程度余裕をもって歌いながら、あまったところをほかのパフォーマンスに回して全部を使い切るような力の使い方がとても好きだった。

「えっ手越が上手いのは知ってたけど、まっすーもこんな歌上手いんだ!」と言われるような、1番目立つわけじゃないけど確かな実力者、みたいな増田さんの歌が大好きだった。

 

増田さんは6→4になったとき、歌割りを引き継ぐことにすごく葛藤があったと言っていた。たとえば、Shareの歌割りでかなり悩んだり、バンビーナの山下くんのセリフパートを引き継ぐのを渋ったり。

でも、4人の曲を歌うとき、手越くんの華やかで難しいパートを肩代わりするのは大抵増田さんだった。技術的に増田さんしか歌えないようなところもあるのだろうけど、それにしても増田さんが引き継いだパートが多いように思えた。わたしはそこから、なにか、もう隣にはいない唯一無二の相方に対する意思のようなものを感じた。

 

手越くんが辞める直前の配信ライブで、URのサビ前を増田さんが全部歌いきったときは衝撃だった。サビ前のシゲマス・コヤテゴのユニゾンパートを歌い、サビを歌い、酸欠になりそうな増田さんを見て、その想いに頭がくらくらした。唯一歌わなかった「あの日つまずいてしゃがみこんでしまうほどの痛みさえ」でカメラに抜かれたとき、増田さんは口をひとつに結んでどこか遠くを見ていた。そのときもう手越くんが辞めることを知っていたのかどうか、分からないけど、そこには増田さんの覚悟があった。この先グループにどんなことが起きようとも、自分が背負って立つという覚悟。

 

3人になって、増田さんはコヤシゲに挟まれる形でセンターに立つことになった。歌に関していちばんに居続けた彼がいなくなって、曲の見せ場でマイクを任されるのは増田さんになった。激しいシャウトもハイトーンも、増田さんがやった。新しい曲が出るたび、増田貴久というボーカリストの新境地を覗き見た。それは喜ばしいことではあったけど、ますださんのまあるい歌声が大好きなわたしとしては少し寂しさもあった。手越くんと一緒に歌っていた増田さんはもういなくなってしまったのかなあ、と。

けれど、増田さんが進むのは当たり前といえば当たり前だった。単純に、これまで4分の1だったものが3分の1になるんだから、歌割りは増える。歌う人が居なくなった歌詞を埋めて、それ以上の完成度にしなければいけない。これまで2人でNEWSの歌を引っ張ってきたものを、1人でやらなければいけない。

増田さんのまあるい歌声が恋しくなるときもあるけれど、そんなこと言ってられない、とも思う。

 

 

「音楽」でも忘れられない出来事があった。

福岡公演に入ったとき、わたしはセンステをちょうどまっすぐ見られる位置のスタンド席だった。福岡までに何公演か入らせてもらったのだけど、それまで一度も泣かなかったカナリヤで信じられないくらい泣いた。その理由は、増田さんがセンターをしていたから、だった。

 

増田さんの歌い出しで始まるこの曲は、手越くんが抜けたあと、増田さんがメインパーソナリティを務めた24時間テレビで初披露された。時期が時期だったから、誰もがNEWSの現状に歌詞を重ね合わせたと思う。そういう、湿度の高い曲。

センターステージでひとり照らし出され、増田さんがいのちを吹き込むみたいに最初のフレーズを歌い終わると同時にコヤシゲにスポットが切り替わる。そしてサビに合わせてコヤシゲの真ん中に走り込み、前に立つ増田さん。ここでもうかなりダメだった。

大サビまで全てを歌い終わると、増田さんはたったひとりでメインステージに歩いていく。数秒遅れて、2人並んで追随するコヤシゲ。アリーナや、花道をサイドから見る位置からではその演出の意図がよく分からなかったけど、センステから花道までの全体を見渡せる席だと、見え方が180度違った。その構図はまるで、増田さんがセンターとして2人の前に立ち、盾となり、矛となり、NEWSの看板を背負って進んでいく様子を暗示しているようで。いつかの手越くんの言葉を思い出してしまった。

 

センターに立つ以上、NEWSのシールドになろうって。もしかしたら批判を浴びることがあるかもしれない。グループへの批判も、ほかの3人への批判も全部、俺が全部引き受けようって決めた。"批判がある方は手越までどうぞ"みたいな感じ。そのかわり、ほかの3人のことは言わないでって。

 

増田さんは、手越くんが定義したセンターを体現しているようにみえた。だから、わたしはボロボロ泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

「増田さんのセンター像はてごちゃんなんだね」

 

心に刻みたい言葉である。増田さんの中でセンターと言えば、山下くんでもジェシーでも佐藤勝利くんでもなく、手越くんなんだ。増田貴久というスーパーアイドルにとって、手越祐也の存在は、オタクが想像するよりはるかに重く、尊く、そして苦いものなんだと思う。

退所から何年経っても増田さんの背中に彼を感じてしまうのは、そういうからくりだった。

 

 

 

 

0番に立つ君と、真後ろにたたずむあなたのこと

偶像崇拝禁止令

 

増田貴久というアイドルは、ファンサをしない。

 

これは別に彼が冷たい性格なわけでも、アイドルをサボっているわけでもない。

彼はなにかの映像で「ファンサービスはあまりしないですね。ライブに来てくれる人ひとりひとり、スタンドの上の方まで、全員と目を合わるのが目標」と言った。

わたしはそんな彼の姿勢が大好きだ。アイドルとして筋の通った生き方をする彼のことを尊敬し、惹かれている増田担である。

 

彼はアイドルだから、ファンサをしないのだ。

 

 

 

 

 

 

幸せなことに、わたしは9月15日、NEWS結成19周年の記念日にライブに入ることができた。しかもアリーナ前方、トロッコが通る道のすぐ横。入れただけでも幸せなのに、とんでもない神席だった。

思わず、期待がふくらむ。

 

それだけではなかった。

隣で入ったシゲ担の友人が、トロッコに乗ったシゲにお手振りを貰った。隣にいるわたしには目もくれず。友人は「……わたしかなぁ?」と言っていたが絶対にあなたである。(断言)

「これがうわさの、シゲ担にしか見せないシゲの顔か」と、隣で思わずにやにやしてしまった。(というかわたしの方が叫んで友人の肩を揺さぶって大暴れした)(おい)感覚としては友人カップルのやり取りを見てにやにやするのと同じ。(?)

けれど、じわりと欲が滲む。

 

ライブ終盤、NEWSの3人が同時にトロッコでわたしたちのブロックに来る。通路に近い側だった友人が場所を交代してくれた。コヤシゲマスの順番で近づいてくるトロッコ

わたしは先に前を通ったコヤシゲをさらっと見て(おい失礼だぞ)、ひたすら増田さんを見つめていた。

 

増田さんはファンサをしない人だから、そう思ってわたしはファンサうちわも名前うちわも作っていかなかった。

 

ただ、増田さんの顔うちわを胸の高さで抱きしめ、ブレスライトを付けた腕を周りの邪魔にならないぎりぎりの範囲でブンブンと振って、そして、咄嗟に手に持っていた双眼鏡をパイプ椅子に置いた。

しかし、増田さんはわたしたちのブロックに背を向けたまま、目の前の通路を通り過ぎていった。

「ああもらえなかった。でもこんなに近くで増田さんを見られてよかった、これで十分幸せだ」と考えながら、メンステへと遠ざかっていく彼を目で追った次の瞬間、

 

くるりと増田さんが振り返った。

ぱちりと目が合う。1秒、2秒。いや3秒かもしれない。彼の表情がふにゃりとほどけた。あったかくてやさしい、大好きな笑顔。

ひらひら、彼の手が左右に動いた。

 

すべてがスローモーションのようだった。

一瞬何が起こったか分からなくて、しばらく経ってからようやく状況を理解した。

 

増田さんに、ファンサをもらった。

 

お手振りはファンサのうちに入るのか、わたしだけにしたものなのか(たぶん違うと思う)、わからない。けれど、あの瞬間増田さんの視界に入っていたことは間違いないと思う。

 

わたしは常々、増田貴久さんというアイドルを応援するにあたって、「増田さんが輝くための、光のひとかけらになりたい」と言ってきた。ライブではペンライトで増田さんを照らすことができたらそれだけでいい。だから、べつにファンサはいらないのだと。

 

大嘘だった。

ロッコがわたしたちのいるブロックを通る直前のわたしの行動ぜんぶ、ファンサをもらいたいという欲にまみれたものだった。「増田さんはファンサしない、誰も一人にしないしだれも特別扱いしないサイコーのアイドルだ」と頭では分かっていても、それでもあの瞬間「ここにわたしがいる」ということだけを知ってほしくて、その証として彼からのファンサが欲しくなってしまったのだった。

 

あとから友人に聞くと、同じ列にいた増田担が規定違反のうちわを持っていたから、わたしたちの目の前を通った時に増田さんが背を向けたのはその人を干すためだったんじゃないかと。ルール違反をしてしまったオタクを干したあと、巻き込まれた周辺のわたしたちのことを忘れずに振り返って手を振ってくれたのだ。

 

 

 

ファンサービスをくれたあの日も、増田貴久さんはしっかりと、スーパーアイドルだった。

 

 

 

紛れもなく、愛

 

 

音楽で、NEWSに初めて会った。

 

 

 

本当は、2年前に4人のNEWSとはじめましてをするはずだった。

つらかった大学受験を終えて、やっと来た春、NEWSに会うはずだった。

然して、未知の感染症。社会混乱。自粛、自粛。

わたしが初めて愛したアイドルグループは、2020年6月19日、大きくかたちを変えることになった。

わたしは、2021年のSTORYにも行くことが出来なかった。3人のNEWSを受け入れるのがつらかったから。

3人になってすぐ、ファンミーティングをしたり、4人時代の曲をリメイクしたり、ものすごい頻度で3人の曲をリリースしたり。あのころ心が荒んでいたわたしは、まるで4人時代を塗り替えようとしているみたいに思ってしまって、それがさみしかった。

3人の曲はどうしても聴くことが出来ず、4人時代の曲を永遠にリピートして胸が苦しくなる。毎日、4人で歌った最後のU R not aloneの録画を見て毎回泣く。そんな日々がつらくて仕方がなくて。

もしもライブに行けば3人のNEWSが目の前にいて、3人のNEWSが大好きな人がたくさんいて、3人で歌い、踊り、MCをするのだ。耐えられないと思ったから。

がんばって集めたCDやDVDを棚の奥にしまった。

TwitterのNEWS垢を消した。

YouTubeを見なくなった。

 

ある日、しばらくNEWSから離れていたわたしは、何を思ったかSTORYのセトリを検索した。あの日なんとなくで検索エンジンを開いたわたし、本当にありがとう。

すべて4人時代までの曲で構成されたセトリが目に飛び込んできた。2021年までにNEWSは3人での曲をいくつかリリースしている、にもかかわらず、それらがただのひとつも入っていないことにガンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

少し考えれば分かる事だった。3人が、4人時代を大切に思っていないわけがないじゃないか。

 

わたしの世界でいちばんのアイドル・増田貴久を信頼できていなかった自分に、恥ずかしさを感じた。

 

ファンミは、落ち込んでいるファンを励まし、NEWSとファンの密な関係性を保つため。リメイクや新曲リリースは、今まで9、8、6、4人で守ってきたNEWSという船を3人でさらに先へと進めるため。NEWSと、ファンのことを思っての活動だ。忘れるためのものじゃない。

だって、きっと忘れようと思っても忘れられるはずがない。最強の4人で過ごした時間を。

3人は、全ての過去を大切に、大切にしている。

わたしはたぶん、4人のNEWSとテゴマスをどうしても諦められなくて、(3人が、増田さんが彼との思い出を蔑ろにするはずがないのに、)3人にもどうか忘れてほしくなくて、勝手に勘違いして小さな子供みたいに拗ねていただけだった。

口に出さない愛もある。

 

NEWSがきっかけで繋がった友人に長文のLINEを送ったら、彼女らは「おかえり」と共にたくさんの優しい言葉をくれた。NEWSと同じくらい、NEWS担が好きだ。

 

わたしは再びNEWSの増田担を名乗るようになった。

 

結局、STORYのチケットは手に入らなくて、オーラスの配信だけ見た。愛しくてたまらないNEWSがいて、増田さんがいて、何百回も聴き込んだ歌を歌う。サプライズで、サプライズとは思えないほど綺麗に泣く3人と一緒に泣いた。画面の向こうには幸せな空間が広がっていた。

「わたしも次はここにいたい、NEWSに会いたい」

自分の心の声を明確に感じとって、わたしは"2021年"に進んだ。

 

 

 

そして2022年秋、NEWSにはじめましてをする日を迎えた。わたしの音楽初日、埼玉。好きになってもう3年経っているのに、はじめまして。変な気持ちだった。

やっぱり、画面の向こうにいる彼らと実際に会う彼らは違うのだろうか。心臓が破裂しそうだった。舞台で役を演じる増田さんを見たことはあるけれど、アイドルとしての彼には会ったことがなく。コヤシゲに関しては本当に初対面(?)。

 

増田さんの歌声がわたしの身体に響いた、

その瞬間涙があふれた。

3人がここに立つ意味、去っていった人への思い。色々なものが込み上げてきてたまらなくなった。

CDとは全く違う。

生で感じるNEWSの歌声は強く、強く。

驚いたのは、本当に初めて会うコヤシゲがテレビや雑誌、FC動画で見る彼らそのままだったこと。それくらい、NEWSがいつもファンの近くに来てくれているということだと思った。

この3年でわたしも掛け持ち先が増えたりしたけれど、NEWSのホーム感は圧倒的だった。「わたしの帰ってくる場所はここだ」と思わせてくれる空間。

 

2時間半の公演中、信じられないくらい泣いた。自分史上最強に可愛く仕上げていったメイクが全部取れてひどい顔になっていたと思う。

 

終演後、3人のNEWSが大好きになっていたし、わたしはとっくの昔に3人のNEWSを受け入れることが出来ていたんだと気づいた。

4人のNEWSを好きなままでも、テゴマスを忘れられないままでも、今のNEWSを愛していいんだと思わせてくれるライブだった。それはきっと、NEWS自身がそうだから。

 

幸せな音楽で満たされて、心もお腹もいっぱいになった。

 

 

 

 

NEWSが好きだと、わたしはNEWSファンだと、今は胸を張って言える。前まではそれが出来なかった。

 

もう揺るがない。NEWSのことが大好きだというこの気持ちをずっと持っていたい。

4人のときもこんな激重感情を抱いていて、だからこそ立ち直るのにすごく時間がかかってしまったのだけど。

アイドルとファンという関係性において絶対なんてどこにもない。そんなこと、痛いくらい知っている。

 

それでも今、NEWSというアイドルグループを愛さずにはいられない。

 

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夢から醒めた夢

今でもテゴマスの亡霊をしている増田担が2年前を振り返る、誰得ブログです。

当時はとても書ける雰囲気ではなかったから、2年後のこの日に、とびきりジメジメしたブログを書いてみました。

ただのオタクがただひたすら悲しみ嘆くだけのブログになっております。(マジで誰得?)

ヨッシャ!このどうしようもない亡霊と一緒にジメジメ2周忌してやるか!っていうオタクはぜひこの続きもご覧下さい。(いるのか………?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、わたしはバイトに向かう途中だった。

自粛期間中何回もオンライン鑑賞会をしたシゲ担2人とのグループLINEで、他愛もない話をしながら歩いていた。

 

忘れもしない、2020年6月19日、18時35分。

グループLINEから大量の通知が来た。

「まって」

「まって」

「まって」

「まって」

変換もままならないそれらの後に続いてきたのは、

 

「てごちゃん」「契約解除だ」

 

一瞬でわたしの世界は真っ暗になった。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

新型コロナウイルスの蔓延。

ウイルスが主人公で、人類を敵として戦う世界線があったなら、「彗星の如く現れた」とでも麗しく表現されるのだろうか。

いやそんなこと知ったこっちゃない。

人間のわたしにとって憎らしくてたまらないこのウイルスは、わたしの大学生活も、様々な経験も、わたしがはじめて愛した四人のアイドルをも、奪っていった。

 

 

 

 

思えばNEWSは4という数字を強くアピールしていた。

 

メンバーの脱退を繰り返してきたグループだけど、4人とも、4人はもう変わらない、抜けない、NEWSは4人でNEWSだと断言していた。

 

世間にも4人のNEWSが浸透していたと思う。

「え、NEWSって最初9人もいたの?」

「山Pと錦戸くんがNEWSだったの知らなかった」

と言われることはさして珍しくなかった。

 

4+FAN、四銃士、QUARTETTO、クローバーなどの楽曲。至る所に4が散りばめられた、4人じゃなきゃ歌えない歌詞。

 

わたしは安心しきっていた。

「これ以上辞めるわけがない」と思っていた。

「もし仮に誰か辞めたら、もうそれはNEWSじゃない」とも。

だから、『春は必ず来る』の緊急生放送でNEWSがエコパアリーナからU R not aloneを届けてくれた日、どこか暗い顔をした増田さんが曲名を叫び、手越くんが世界中の人への思いやりいっぱいの言葉を届けてくれたあの日、彼がメンバーに脱退の意を伝えていたなんて夢にも思っていなかった。

 

4年かけて作り上げてきた四部作。N、E、W、Sの頭文字で始まるコンサート。メンバー全員が30代を迎えたアイドルグループにとって、4年という年月は決して短くはないはずだ。

まして、メンバーの脱退やスキャンダルがあり、度々世間の好奇の目を向けられてきたNEWSにとって、メンバーの数を示す記号をキーワードにした作品を創りあげるなんて、きっと不安は尽きなかっただろう。

それでもNEWSは4年をかけて、NEVERLAND、EPCOTIA、WORLDISTAを経て2020年、STORYを以て四部作を堂々完結させるはずだった。

 

 

 

 

 

なのに。それなのに。

 

 

 

 

5/15のお昼、わたしは母と大喧嘩して、泣きながら部屋ににげこんでいた。クローバーとNEW STORYを聴いたら貴久くんのパートで涙腺がバカになってしまって、顔がべしゃべしゃになるくらい泣いた。そのあと少し落ち着いてから大学の講義の音声ファイルを聴いて勉強して、キリのいいところで休憩しようと思ってTwitterを見た、

 

もう、絶望しかなかった。

 

恐ろしいスピードでタイムラインが流れていた。

緊急事態宣言下での外出報道。

それを受け、手越祐也、トニトニ参加見合わせ。

 

わたしはどうしたらいいかわからなくて、呆然とタイムラインを眺めていた。

歌で評価されてきた手越くんが、事務所を上げての歌のプロジェクトに参加できない。

こみ上げてきた感情は「くやしい」だった。ただのファンがこんなことを言うのは烏滸がましいかもしれないけれど、本当に、悔しかった。

 

でも、わたしは安心していた。だってNEWSは4人だから。

手越くんはきっとソロパートをもらう予定で、そこを増田さんが歌っちゃったりなんかして、その裏側が後日ride on timeかなにかで放送されたりして、テゴマス最高、エモいエモいと泣き崩れるんだと思っていた。

本人の意思とは無関係にやたらとドラマティックに色付けされた彼らの人生を消費する、それがアイドルを応援するということだとしたら、やはり恐ろしい行為だと思う。

 

 

二度目の外出が報じられ、無期限活動休止が言い渡されたときも、すごくショックだったけどきっと戻ってくると思っていた。

 

だって、NEWSは4人だから。

慶ちゃんも、シゲも、貴久くんも、「NEWSを守ります」ってそれぞれのブログで言っていた。

彼らの言う『NEWS』の中には手越くんも含まれているんだって、必死で、そう信じていた。

 

 

そして6/18、配信ライブの最後の曲、

U R not alone。

 

『あの日つまずいて しゃがみこんでしまうほどの痛みさえ』

 

手越くんのパート、誰も歌わなかったんだよ。

体を揺らしながら口ずさむシゲ、

かたく口を結び空を見つめる貴久くん、

なにかを振り絞るように歌詞をなぞる慶ちゃん。

 

このときわたしは、絶対に絶対に戻ってくると確信した。『あなたの代わりはいない』ってことだと思った。

だって、こんなのを見せられて期待するなと言うほうがおかしいでしょう。

わたしは泣きながらブログを開き、思いの丈をそのまま綴った。

 

守るということ - 世界でいちばんのきみへ

 

まあなんとも希望に満ち溢れたブログだ。

心のどこかで、いつかSTORYのライブが開催できたとき、てごちゃんはネバランのオーラスみたいに号泣しちゃって、涙のフィナーレを迎えるんだろうな、なんだかんだでこの一連の流れは感動的な物語になって、NEWS担の間で語り継がれて、わたしはそれにまんまと乗ってしまうんだろうな、なんて思っていた。

 

今思い返せば、この日に書き上げられて本当によかった。

 

 

 

次の日、てごちゃんはNEWSを辞めた。

 

 

 

目が腫れるくらい泣いた。

脱水症状を起こすくらい泣いた。

だけど、目の前にある事実はなにも変わらなかった。

NEWSの手越祐也に会えなかったこと、4人のNEWSを一回も生で見れなかったこと、何より、もう二度と増田さんは手越くんと一緒に歌えないんだと思うと、ボロボロと涙が溢れて止まらなかった。

 

 

 

 

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正直なことを言うと、二年経った今でもまだ完全に吹っ切れたわけではない。わたしはたぶん死ぬまでテゴマスへの未練を語り続けると思うし、4人のNEWSが今も変わらず存在する世界線や、てごちゃんが綺麗な形で脱退していくシナリオを頭に思い浮かべて鬱々とした夜を過ごしたりもする。

この二年間、もういっそ好きでいるのをやめようかと思ったこともある。実際に一度NEWSから離れかけた時期もあった。

けれど、NEWSを応援することでしか得られない、何にも代え難い幸せに一度触れてしまったから、好きでいつづける以外の方法がわからなかった。

NEWSが3人になってからファンになった人もいるだろうし、これからNEWSファンになる人もいるだろう。そういう人たちにも、4人のNEWSがこんなにも最強で、最高で、愛おしい存在だったこと、知ってほしいな、と思う。

 

 

現実の物語は、めでたしめでたし、以外でいとも簡単に終わってしまうことを知ったけれど。

 

偶像崇拝

今この瞬間だけは、儚く美しい神様に夢を見ていてもいいだろうか。